イエス様から学ぶ、子どもへの接し方

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こんにちは^^

今日はイエス様の姿から、幼い子どもたちへの接し方について考えてみたいと思います♪

聖書では、イエス様は幼子に対してどのように接したと書かれているか。


イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。  するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 

新約聖書ルカによる福音書18章15〜17節

この聖句に関して、以前主日礼拝の説教の中でこのように学びました。


「イエス様が福音を伝え始めました。人々は神様がイエス様を通して様々に行われることを見て、または噂を聞いて、イエス様が現れさえすれば、老若男女問わず、みんな集まりました。イエス様に御言葉を聞いて病の癒しを受け、様々な助けを受けました。


この時、親たちが「自分の幼い息子、娘」もイエス様のところに連れてきて、イエス様がこの子たちの手でも掴んでくださることを願って、イエス様の近くに行きました。

ですが、弟子たちがこの姿を見て、たしなめて、叱って、近くに来られなくさせました。


そうしたらイエス様は、幼い子たちを呼んで近くに呼ばれ、「幼子たちが私に来ることを止めるな」とおっしゃり、むしろ止めた弟子たちをたしなめました。そして、幼子たちを見て話されました。

『神様の国は「このような人たちのもの」だ。神様の国を「幼子のように受け入れることができない人」は、絶対にそこに入ることができない』とおっしゃいました。」

(2021年4月18日主日説教より)



このようにイエス様は、幼い子たちを「幼い」と言って下に見るのではなく、その純粋な心や品性をもってこそ天国に行く事が出来るとおっしゃいました。


私たち大人も、元々はそうであったはずなのに、この幼心を忘れて生きてしまっている事があるのではないでしょうか。

イエス様が天国は私たちのただ中、つまり心から生まれるとおっしゃったように、自分の心を幼子のような純粋で良い心のままに守っていかないといけませんね^^


また、子ども達は純粋な分、大人の言動から心に傷を受けてしまうこともあります。

最近では、「虐待」ではなく「マルトリートメント(マルトリ)」という概念も話題になっています。


マルトリとは、虐待の定義まではいかずとも、避けたい子どもへのかかわり方の事です。


具体的には

子どもの話を聞かず大人が一方的に喋り続けてしまったり、

親がお互いの悪口を子どもに言ってしまったり、

年齢に相応しい門限などがなく、親がいない間子どもがどこで何をしているのか一切わからない…など

子どもの発達上、避けたいかかわりが挙げられます。


こういったかかわりが良くない、というのは社会的にも理解されてきていると思いますが、改めて自分の1つ1つのかかわりをしっかり点検しないといけないと感じます。


虐待やマルトリを避けたい理由として、これらのかかわりが子どもの「脳」に影響するとされているからです。


体罰を受けると脳のうちの感情や行動をつかさどる「前頭前野」が萎縮します。

また、強いストレスにより「扁桃体」が萎縮、暴言を聞くことにより「聴覚野」が萎縮する事が研究により明らかになっています。

(参考:マルトリートメント(マルトリ)が脳に与える影響映像テキストブックhttps://marutori.jp/pdf/txtbook_s.pdf


スポンジのようにたくさんの事を吸収し、発達していく子ども達の大切な脳。何を見て、聞いて、感じるかが本当に重要です。

「子どもなんだから」ではなく、イエス様のように幼い子どもの純粋さ、秘められた能力を尊重し、1人の人として大切に守っていかなければいけません。

むしろ、子どもたちから学ぶ、謙虚な姿勢をもっていきたいです。


個人的な話になりますが、私は子どもの頃、イエス様がこのように子どもにも優しい愛の方だとは知りませんでした(;▽;)

小学生の時に読んだ伝記に描かれていたイエス様は、身なりもみすぼらしく、最後には十字架にかけられて亡くなってしまうからです。


伝記の内容を理解できなかった私は「なんか怖い」「十字架にかけられちゃうのは悪い事したからなのかな??」と思っていたのです。


大学生の時、天運教会で聖書の話を学んでから、イエス様がこのように老若男女誰にでも、罪を犯した人にでも愛で接してくださる方なのだと知るようになりました(^^)✨

特に、社会的に地位が低いとされていたような女性・子ども・障害のある人の近くに行き、愛してあげ、癒してあげた姿を学びました。


「私はキリストだー!」と言って偉そうにするのではなく、真実な愛を施してくださるイエス様。

その姿からは、教会で子ども達にかかわる身としても、また、1人の人間としても学ぶ事ばかりです。



今日は、天運教会で学んだイエス様から、子ども達へのかかわりについて書いてみました♪

この記事を読んでくださったかたが、どうか、「自分の教育だめだわ💦」「私の子育て間違ってる💦」と自分を否定したり責めたりするのではなく、イエス様の姿を知り、そのように子ども達に接してみようかなと思えるきっかけになって欲しいと願っています(^^)

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